はじめに
イエウールのPdM(プロダクトマネージャー)の嶋です。あと、嶋稟太郎 という名前で短歌をしています。 PdM歴は5年、マーケターとwebディレクター畑で育ったタイプのPdMです。 歌歴は7年で、今はアララギ系の短歌結社に所属しています。
イエウール事業は、立ち上げ時の小さな組織を経て徐々に組織が大きくなるフェーズです。その中で私はPdMとして連続的に複数プロジェクトに関わるような仕事をしています。この頃、短歌で大事にしてることとチームでの仕事に共通点があるな〜と思ったので記事にしました。
短歌って何?
「短歌」は 5-7-5-7-7 の31音のフォーマットがあるだけ。 それ以外の制約はありません。5-7-5 の俳句と違って季語も不要です。
例えば私は、こんな歌を作っています。
短歌で何を大事にしているか?
言葉によって感覚を他者と共有すること です。
「共有できている状態」とは、歌を読んだ受け手側が、まるで自分の身に起こっているように歌の内容を追体験できる状態を指します。感覚を正確に伝えたいときは情報量を増やすのが一番オーソドックスな方法ではないでしょうか。例えばエッセイや小説のような散文であれば、じっくりと文字数を使って読者と共通認識を作ってゆくことができます。
ところが短歌には音数がたった31音しかありません。ではどうするかというと、受け手側が持っている感覚(受け手がこれまでに得た知識や体験)を利用し、追体験を起こすことで感覚の共有を図ります。
何を詠むかではなく、何を詠まないか
受け手の感覚を利用すると言っても簡単ではありません。少ない音数に言葉を入れるために、極限まで言葉を省略しつつ大事なことはしっかり残すというちょっと特殊な訓練が必要になってきます。例えば抽象度の違う言葉を繋ぎ合わせたり、主観と客観を混ぜると言った”意識的な言葉の操作”を繰り返し行います。すると「ここから先は全部言わなくても、受け手側の感覚で補完できる」と思えるラインが見えるようになります。 また、詩歌で使われる言葉には制約がなく、仕事や生活で使う言葉よりも広〜い素材と幅のある抽象度から、もっとも適した言葉を選んでいきます。ほぼ無限の選択肢から1音ずつ丁寧に調べを作ってゆく。
つまり、短歌を作ると具体と抽象を行き来する筋肉が鍛えられる のです!
うぉーー、すごいぞ!短歌。
実際どんなことをしてるの?
これ
実は完成までに5年かかっていて、一番最初の案はこんな歌でした。
変わった点は、
- 「地上」が入った。
- 階段が「踊り場」になった。
- 音数の半数を占めていた歩幅の描写が削られた。
- 桜が散ってる。
……すぐに分かるのはこの辺りなんですが、見た目以上に歌の構造が大きく変わっています。
小さな変化は大きな違い
大きなポイントは2つです。
まずは 「地上までまだ少しある踊り場」 これだけで初期案の全てを言い尽くしている点です。 「地上」という単体では像を結ばない抽象的な言葉が、具体的な言葉「踊り場」と繋がることで状況を想像しやすくなりました。さらに音数の余裕ができたところに、初期案では言えなかった季節の描写が入るようになりました。「まだ少しある」を挟むことで風景の細部もイメージしやすくなっています。
もう一つは 「登場人物が消えて視点のみが残った」 です。 「わたし」が消えるとあら不思議、初期案では俯瞰した視点から自分の歩く姿を見ていましたが、改作後は視点だけがあり、その場にいるような臨場感を出せるようになりました。
改作の歌には5年の間に経験したたくさんの階段の情景が重なっています。最終的には、今のオフィスビルの近くにある階段で見た光景を題材として現在の形に落ち着きました。作者個人にしかわからない情報はこの歌には入れずに、読む人の観賞を邪魔しないようにしています。
作品を発表して他者との認識の違いを知る
さらに短歌には「歌会」という営みがあって、様々な世代(10代〜90代まで!)の人が参加して、作品から感じたことを感想や批評として共有するイベントがあります。 背景の全く異なる人が集まっているので、読む人によって細部のイメージは違ったものになります。
例に出した歌でも、こんな感じで読み方に差が出ます。
- 階段を降りている・階段を登っている
- 地上に向かう・地上に降りる
- 都心の駅・地元のショッピングモール
- 爽やかな感情・悲しい感情
などなど。
面白いのは、それぞれの考え方の違いがわかると、相手に共感ができるというところです。 追体験は、受け手の中に自ずから起こるもの。全員が同じ歌を観賞していても、歌から立ち上げるイメージや感情の細部には必ず差異が起こります。同じ歌を前にして、自分と他者が追体験したことは何が違うのか、何を示唆しているのか参加者同士で話し合うと、作者が想像しなかった気づきや解釈に辿り着くこともあります。「それぞれの解釈の違いを認識し合う」と「受け手それぞれの追体験が更新される」を繰り返すなかで、言葉によって感覚を他者と共有することができます。
歌会すごいぞーー!
良い抽象度とは何か?
良い抽象度の言葉は 背景の異なる人が集まっても対話ができます。
これまでずっと短歌で考えてきたことがPdMの仕事にも通じているなぁと思う時があります。 例えばチームで仕事をする時。このチームがなぜ存在するのかを伝える時がそうです。
受け手側それぞれの解釈は変わっても、一つの言葉を前に感覚を共有できる、それがちょうど良い抽象度です。伝えたいことによって最適な抽象度は変わるし、チームのメンバー構成によっても変わるでしょう。その時の最適な言葉を探し出す営みは短歌とよく似ていると思います。
仕事でも大事にしたいこと、対話を続ける理由
もう少しだけ仕事の話を。 私は、次のようなことを大事にしています。
- 認識を一度の説明で完璧に合わせるのは無理。解釈の差分を明らかにし、対話によってチームの認識を深める。
- PdMは発信し、対話を通じてメンバーそれぞれが共通の目的に向かえるようにする。
- プロジェクトを進めながらプロジェクトのなかで認識を合わせる。
事業開発を行うPdMは、職種や背景の異なるメンバーが集まったチームで同じゴールを共有し、それぞれが同じ方向を向けるようにするのが大きな仕事です。 今の私個人で言うと、数ヶ月〜半年程度の短期プロジェクトを連続的に進めながらプロダクト開発を行っています。メンバーの入れ替わりがあるとwhyからHowの文脈は失われてしまいます。もちろんドキュメントは必要です。ただ情報量だけでカバーしようとすると細部の更新が事業成長のスピードに追いつきません。 なので適切に抽象度をコントロールしつつ、対話と状況の変化の共有を継続しながらプロジェクトを進めるようにしています。
まとめると、「言葉を削る」とは、事業と開発という性質の異なるものを、適切な抽象度の言葉によって結びつけ、事業の変化に対応しながらチームが共通のゴールに向かうための技である! です。
ウォォォォー!
最後に
短歌、具体と抽象を行き来する訓練にめっちゃいいよ。
みんなも短歌やろうぜ。
そして歌会やろうぜ。
おまけ
ときどき遊びの歌も作ってます。
渡らなきゃ分からなかった 多摩川はなだらかな川さらば神奈川
— 嶋稟太郎 (@smrntr) 2021年10月10日
#母音が全部aの短歌
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11/27更新
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